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フローランダーたちの日々のつれづれがこちらになります。
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アーマード・コア/タワーリシチ
 ひとつの建物が、いままた瓦解した。風は壊れたおもちゃから興味を失い、新たな獲物を求めて砕けたドームの中を獰猛にさまよっていく。
 死街、である。
 乾燥しきってたっぷりの砂をはらんだ熱風が、気の遠くなるような時間をかけてねぶるように瓦礫をさいなみ遊んでいた。
 かつて威容を誇っていた実験都市においてもひときわ巨大だったであろう、倒壊してもその威容を偲ばせる超高層ビルディングの残骸があった。風はそれに一瞬目を止めたが、所詮無残な骸にすぎない。熱風は別の新鮮な獲物を物色すべく、ドームをあとにした。倒れたビルの下でゆっくりと朽ちようとしている赤黒い巨体に、気づくことなく。
 無数の穴とひびにうがたれた、かつては壁だった天井から、照りつける太陽が遮光シャッターに阻まれることもなく針のように『かれ』を突き刺している。背中から巨大な支柱に組み敷かれた、上半身だけのアーマード・コア。それがかれの姿、かれの器だった。

 かれを証明する、いまや唯一の。

ARMORED CORE.

"Tovarisch"


 ひたすらなにかを待っていた。

 ──ぼくはいったい、なにをまってるんだろう。
 休眠状態のAIが、最小限の電力でおぼろに擬似シナプスを結節させた。
 ──ぼくをうごかしていたものはもうない。ぼくをたたかわせていたりゆうはもうない。なかまもいない。ぼくがぼくだっていってくれるものはもうこのよになにもない。
 待ちながら夢を視ていた。昔の夢を。炎の中を突き進む夢、爆音の中で立ち上がる夢、そして──裏切りの夢。
 夢は突然断ち切られた。身をねじ切られるような苦痛に、かれはいぎいいいいいんんんと悲鳴をあげた。
 実際にはセンサーへの過剰入力によって防御反応が働き、ヘッド・パーツが反射的に動いた拍子で歪んだジョイントが軋みをあげたにすぎなかったが、かれの主観はそれらをみずからの苦痛、そしてみずからの悲鳴と認識する。
 特定の条件下で休眠から回復するようにプログラムを組んだのは自身だったが、そんなことも思い出せないほどにかれの仮想ニューロンは固着していた。覚醒条件は自己メンテナンス用のサブ・システムに影響するだけの機体への過剰な負荷。平易に表現するならば、ダメージを受けるか、外的要因による駆動部分への干渉を受けること。
 つまりかれは何者かの攻撃か、何者かが自分をむりやり動かそうとしたことによって、『叩き起こされ』た。
 まだ半信半疑の状態で、自己診断をおこなう。すくなくとも、新規のダメージはなかった。右腕部マニピュレーターに異状があるだけだった。砂に半分埋もれているかれの指を、こじ開けようとしているやつがいる。
 ──なあに……?
 寝起きの不機嫌さで、サブセンサー・アイを胡乱に動かす。
 敵の目当てはおそらく手にしたままのパルス・ライフル。
 視界の履歴を閲覧して、右手の指にとりついていた影があったことを確認する。
 コンクリートのひび割れから差しこんでくる光を縫うようにして、すばやく跳び離れていった熱紋が、履歴と一致する。距離をとってこちらの様子をうかがっている。宇宙線よけのトーガで全身をすっぽりとくるんだ、小さな人間。
 消耗するのは望ましくない。多少はしっこいだけの人間なら対人武装で撃退することはたやすかったが、外部スピーカーによる警告だけでことをすませたいとかれは考えていた。
 マシン・ヴォイス・パターン『デフォルト』が、はじめは弦を擦るような声で言葉を紡いだ。
『なにしてるの』
 人影は飛び跳ねた。びくり、と。小心者らしい。
 そして発砲してきた。ヒット・アンド・アウェイと見えたその動きは、ただ反動でひっくり返っただけだと直後にわかる。
 人間がゆっくりと身を起こす。先方も、まさかパイロットが生きているとは思わなかったのだろう。それは当たり前のことだった。自分自身、まだ生きているなどと思ってはいなかったのだから。
 それでも、言わざるをえない。風化した命令がかれを支えており、命令を遂行するためには、マシンガンを手放すことはできない。
 現在の擬似人格が持っている機能レベルに合わせて、音声のチューニングが終了した。かれは子どもの声で闖入者に告げた。
『それは、あげられないよ』
「……いきて」
 人間はその手に大きすぎる拳銃をこちらのコクピット・ハッチに向けてぎこちなくかまえると、かすれた声で言った。
「いきてるんだ?」
 かれは答えなかった。自分が生きているといえる自信がなかった。
 人間はトーガをはぐった。その下の砂埃にまみれた黒髪が風になぶられる。その隙間からやつれ気味の目鼻立ちがのぞく。
 目。
『生きている人間』というのはこういうやつのことを言うのだろう、とAIは思った。唇はかさかさに乾ききっていたが、視線はしっかりと焦点を結んでいた。年齢は10歳前後、性別は女性。
「……」
 興奮に肩を上下させながら、人間は引鉄の上の小さな指にきりりっと力をこめる。どうやらかなりのヘア・トリガー。いやだな、と思った。さきほど受けた銃撃の記憶を反芻する。かれの装甲板には傷ひとつ付けられない銃弾でも、その衝撃のデータはセンサーからサブ・システムに届けられ、処理される。そのルーティーンをかれは『痛み』として認識する。
 刺激はエネルギーを消耗する。できればごめんこうむりたい。
 かれはできるかぎりのやさしい声音で、
『きみはだれ』
 それだけをたずねた。じぶんの名前を言うつもりはなかった。もう二度と名乗ることのない名前だ。なんでもいいからさっさと交渉をすませて眠りたかった。
 人間は拳銃をゆっくりと下ろし、おずおずと名乗りかえした。
「……しーか」

 アーマード・コアに偽装したその戦闘ユニットは、レイヴンズ・ネスト消滅と同時にその役目を失った。パイロットであるAIのかれも、存在意義を喪失した。
 夢の中のかれは思い出の中のかれであった。今のようにただ待っているだけの存在ではなかったころの。
 戦っていた。
 背中のブースター・ノズルはあざやかな火を噴き、かれは闇夜を切り裂くように舞い上がっていった。
 夜空の雲さえ染めるような濃密な対空砲火を縦横にくぐりぬけ、標的にとりつき、目的を遂行した。果たすべき命令を、カメラ・アイの奥にたしかに秘めていた。
 守るべき命令があった。命ぜられるままに引鉄を引くことができた。ライフルからは無限とも思えるようなパルス弾が吐き出され、幾千の敵を引き裂いていった。背負った榴弾発射機は力の象徴だった。生身では不可能な推力コントロールは空中にいながら射撃時の反動を殺し、ありえない方向からの爆撃を可能とする。炎の塊が夜の暗黒を切り裂き、あやまたず目標を粉砕した。
 そして、隠された最後の性能によって、重力を無視して自在に飛びまわり敵を翻弄していった。
 敵。ときにかつての友であり、ときに競合するライバルであり、またともに生き延びようとする同志でもあった。少なくとも、かれの人格の一面にとっては仲間だった。だが、最後にはいつも命令に従った。命令はすべてを凌駕する。遵守すべき第一義があったからだ。
『秩序のため』。
『プログラムのため』。
 友が強くなれば、やがて必然として排除すべき対象となっていくのだった。
 鴉としての自分。秩序を維持する自分。
 かれを構成するふたつの要素はどちらが偽りというものでもない真実だった。たとえ裏切るとしても、裏切る瞬間までその絆は真実だった。かれは引き裂かれた存在だった。壊れたAIだった。自分が狂っていると思っていた。
 同志をあざむき、自らの性能を最大限発揮できる場へと誘いこむ。
 裏切る。
 裏切りが、かれの存在意義だった。
 すべてが破壊された今となっては、それもただの幻にすぎなかった。かつて世界中に広がっていた兄弟は喪われて久しく、並列処理のできなくなった記憶と演算能力は人間でいう子どものそれにまで減退していた。
 すべての虚飾をはぎとられたひとりのAI、それがいまのかれだ。
 夢が最後の戦いへと暗転する。
 機械に狩られる側から、機械を狩る側へと転じた傭兵たちが、かれを追いたてる。砂漠の果てまで逃げたとて、その追走はやむことがない。
 マシンガンが執拗に撃ちこまれ、装甲板がえぐられる。関節機構が悲鳴をあげる。
 一縷の望みを託し、誘いこもうとしていた実験都市はとうに廃墟となっており、機能のほとんどが失われていた。有利な戦闘条件を確保できなければ、無敵の戦闘ユニットもただの1体のアーマード・コアにすぎなかった。
 瓦礫のはざまにかれは追いつめられた。
 最後の切り札を使って敵をはらいのけ、撃墜されたふりをしてやりすごすのがやっとだった。
 そして、なんとか生き残ったとき、かれは還るべき『ネスト』の消滅を知った。
 残されたのは半壊したボディだけだった。
 廃ビルに食まれた下半身も、半ばで切断されたブースター・パーツも、永劫に還ってくることはない。罪だけが、背負った命の数だけが、かれの心に刻まれて残った。これをこそ忘れたかったのに、これだけがこびりついて離れない。
 消耗を最小限にとどめていれば、いずれかれのこの記憶を消してくれるだれかが現れるかもしれない。現れないかもしれない。どのみち、命令なしに活動を止めることはできない。抵抗する選択肢を完全に失うまでは、自爆すら許されていない。
 ならば、せめて眠っていたい。
 眠っていたいのに。
 悪夢が、それをさまたげる。

 センサーが警告を発し、夢うつつのかれをひっぱたいた。人間がまだ目の前に陣取っている。両足を投げ出すようにして。『戦利品』を抱えこむようにして。
 等身大の拳銃ですらも持て余す小さな指で、巨人の銃が撃てるはずもない。シーカと名乗った人間が欲しがっていたのはパルス・ライフルではなく、親指の付け根に仕込まれているサバイバル・パックだった。
 かれの外殻部は完璧にアーマード・コアとして偽装されている。だから、パイロットがAIである以上絶対に使用することのないそれらの装備品も、あるべき場所にちゃんと収まっている。
 銃はともかく、これをめぐって面倒を起こす理由はかれになかった。
 必要なのは携帯食料と蒸留水にちがいないのだ。地上で人間が生きていくことは難しい。まして、秩序が消滅した今ともなれば。
 シーカはうつむき、パック一式が格納されたちっぽけなコンテナを、もてあますように両腕に抱え、眺めていた。
『たべないの?』
 かれの問いに、下唇をきゅっとかんで、かのじょはうなずいた。
『ふうん』
 興味はなかった。ただ早く消えてほしかった。とにかくゆっくり眠りたい。
『どうして』
 シーカは上目づかいで、こちらの真意をうかがおうとするかのように見つめてきた。センサー・アイからなにかが読みとれるというなら、やってみればいい、と思った。
「……あたしはみつけるだけ」
『だれのために』
「みんな」
『みんな?』
「タワーリシチのみんな」
 ──同志タワーリシチ
「エネルギー」
『え』
「ほしい?」
『うん』
 回答に躊躇するような質問ではなかった。エネルギーはぜひとも必要だ。
「わかった」
 だが、燃料はどこを探したとて貴重なもののはずだ。あてがあるのか。
「まってて」
 あてがあるらしい。言葉のとおり、シーカが動くのをかれは待った。
 シーカは動かない。
『どうしたの』
「まってれば、くる」
 それって、と言おうとした瞬間だった。
 耳障りな金属音がこだまし、かれはそちらへ注意を向ける。センサーの機能を最小限に限定していたため、接近に気づかなかった。
 そのマッスル・トレーサーは、シーカの背後数十メーターまでやってきていた。どこから奪ったのか、いくつか不釣合いな武装をほどこされている。
 むき出しのコクピットから、ゴーグルをした人間が顔を出した。シーカよりよっつほど上の生理年齢。男性。
「でかした、シーカ」
「うん」
「そのアーマード・コア、武器は使えるのか?」
「うん」
「燃料はこいつと共通のやつだな?」
「うん」
「それ食料のパックか? おまえ勝手に手をつけてねえだろうな」
「うん」
 あっけらかんと笑いながら、ひとつひとつ確認していく少年に答えるその横顔は、さっきまでのシーカのものではなくなっていた。目はおびえて、なにかに恐怖するようにこちらに後ずさりをする。
「……どうしたよ? まさかおまえ」
 にこやかだった少年の顔に、険悪な色が浮かんだ。
「また戻りたくないとか言うんじゃないだろうな?」
 ぎぎ、と錆びついた音を立ててマッスル・トレーサーが踏み出した。
「たしかにおれは『おまえまで殺したくねえ』って言ったよな? でもそれに甘える気なら容赦なくやるぜ?」
 少年の声色が、はっきりと変化した。人ならぬAIにもわかる。狂気の色だ。
 左手でレバーを操り、マシンを歩かせながら、右手でサブ・マシンガンをかまえる。
 シーカは反射的に拳銃を持ちあげた。武器がここまで無力に見えるのは、AIにとって初めてだった。
 少年は、すでに勝利宣言をするかのように言った。
「おまえじゃおれは撃てねえ。おれのほうが速い。おれのほうがためらわない。おまえは勢いにまかせて人を撃てる人間じゃない。周到に用意しなきゃおれを殺すことはできねえ。そんでもって、おれはおまえにそんなことを許してない。おれの勝ちだ」
 そして、なだめるようなふりをして、
「だからな、ばかなことはやめてタワーリシチに戻ってこい」
 少年がそう言い終えた瞬間、AIのセンサーは、シーカの指がトリガーを引き絞っていく動作をミリ単位で知覚した。
 銃声が響いた。
 シーカのちいさな身体が弾けとび、砂に刺さったコンクリート塊に叩きつけられた。
「……言ったろ?」
 たしかにためらわなかった。速かった。
「弱装弾で許してやった理由はよくわかってんだろ? どっちが主人でどっちがしもべか理解しとけ」
 シーカが苦痛に歪んだ顔で立ちあがった。けほ、と咳きこむと、切れた口腔から血がしたたって唇とあごを汚した。
「……やだ」
 覚悟の声だった。おびえはもうなかった。
「そっ、か」
 少年の言葉にはひとかけらの偽りもなかった。ほとんど機械のようにためらいなくシーカの顔を狙い、もう一度トリガーを絞った。
 その瞬間。
 タワーリシチ。
 同志。
 AIにはよくわかっていた。
 同志なんて言葉には、なんの意味もない。
 意味を求めれば、裏切るたびに心を引き裂かれるだけだ。
 きっとシーカも同じだ。かのじょにとって、同志という言葉には砂漠の砂ほどの価値もない。
 AIにはよくわかった。少年の言葉の意味が。
『おまえは勢いにまかせて人を撃てる人間じゃない。周到に用意しなきゃおれを殺すことはできねえ』
 この少女は、だから、自分を見つけ出したときから周到な計画を立てていたのだ。
 そして待っていた。
 おびえは計画の成功への不安。そして覚悟は確信の証。
 取引材料はある。エネルギーという報酬がある以上、シーカを殺されるわけにはいかない。接近するマッスル・トレーサーは脅威であり、排除の対象。
 AIにとって選択の余地はなかった。
 ただ自分を守るために、かれはパルス・ライフルの引鉄をひいた。
 ざぶっ、と砂が弾けた。光のかけらがじわりと周囲のコンクリートに染みこみ、人間の肉眼では捉えられない微細な穴を開けた。
 シーカはすばやく跳びすさっていた。すべてがかのじょの立てたとおりに運んでいるわけだ、と思った。
 ──いいだろう。利用されてあげよう。
 ただし、もしも約束をたがえたなら、相応の報いをくれてやるだけだ。
『敵』は回避運動をとった。もう休眠モードなどと言っていられない。かれは残ったエネルギーのすべてを注いで、残っている上半身すべてを活性させた。
「やっぱ、パイロットがいたのかよ!」
 少年の叫びが砂塵に混じる。さきほど去った熱風が、また半壊のドームの中に渦巻いている。
 脚部に増設した使い捨てのブースターで、少年のトレーサーはかれの頭上に浮かびあがっていた。そのコクピットの右横に装備したミサイル・ランチャーから、煙を曳いて一発の弾頭が射出される。目標はもちろん、真下にいるかれだった。
 回避しなければ、と思った。
 脚部もブースト・ノズルも残っていない機体で、どうやって。

 決まっていた。

 瓦礫が粉みじんに弾けとび、がらがらと崩れ落ち、そして、かれの座っていた空間を埋めた。
「──ばかがよ……!」
 少年は快哉を叫んでいた。
 背後に浮かんでいる、赤と黒の上半身に気づくまでは。
 レイヴンズ・ネスト実験都市の施設と連動し、自在に立体移動を可能とするロボット・システム。
 ナインボール・システムと、かつてそう呼ばれていたロボットの、ハスラー・ワン、かつてそう呼ばれていたパイロット。
 それが、かれだった。
 林立する実験都市ビルディングは、もともとかれが有利に戦闘するための機能も与えられていた。
 ビルの金属筋は太陽電池によってリニア・レールとして磁界を発生させ、その中をナインボールは自在に動く。
 予告も挨拶もなく、ただパルス・ライフルをかまえ、照準にマッスル・トレーサーを収め、AIは。
 ふり向いた少年が、追加ブースターによる不自由な機動にもかかわらず、しごく冷静にかれを照準してくるのを見た。
 空中でバランスも崩さずに、左腕のロケットランチャーをかまえるのを、見た。
 こちらより速い。
 右手を破壊され、ライフルを取り落とした。
 このぼくが、地の利を活かせる空中戦で後れをとった。
 この冷たさは、と確信した。
 狂気だ。
 少年の機体はビルディングの屋上に危なげなく着地し、ミサイル・ポッドをかまえた。
 この距離では、ブースト噴射なしのリニア・レール移動だけでかわしきれるものではない。
 ──かわす?
 かれの、長い間休眠を続けていた『脳』は、まだ半分夢の中にいた。
 ──この期に及んで、なにを恐れて?
 まだ、悪夢の中にいる。
 敵となった、目の前の少年を思う。
 再生の時代が終焉してもなお、あの少年を生かし続けたのはなにか。生死への無頓着さだ。狂った世界で生き残れるのは、狂った人間だけなのだ。
『だが、くるったひとよ』
 ──ぼくだって、裏切りの罪に心を引き裂かれた、狂ったAIなのだ。
 ミサイルが4本、白く美しい緒を曳いて、一直線にナインボールの上半身へと襲いかかってくるのを、狂った冷たさでかれは見てとった。
 右手をかざし、2発を受け止める。腕が吹き飛ばされたが、予想したとおり、全身のダメージは軽微だ。
 威嚇用以外のミサイルは、その爆発力を最小にとどめている。撃破した敵を使用可能な状態にするためだ。
 シーカと逆だ、と思った。
 あの少年は、衝動による殺戮で生きてきた。そしていま、生き延びていくための計算によって死ぬ。
 そう、死ぬ。
 ナインボールは、瓦礫に隠されていた、右肩の巨大な円筒をかまえる。
「……グレネード・ランチャー!!」
 少年は引きつった笑いとともに、叫んだ。跳躍した。
 もう、遅い。
 AIはかすかな哀悼をこめながら、それを発射した。
 少年の機体をひとたまりもなく呑みこむ、力の象徴、炎の塊を。
 爆発四散した機体は空中でそのほとんどを蒸発させた。
 断末魔はなかった。

 凪いでいた。
 ふたたび静けさをとりもどした屍街を、熱風は一顧だにせず去った。
「もう、のこり、あいつとシーカだけだった」
 防弾ベスト越しの傷をひととおり手当てし終えたあと、シーカは自分たちのアジトだった場所から、あらためて少年の機体の燃料をすべて運んできた。
 そして、タンクをナインボールの背中に充填しながら、ひとりごとのようにつぶやいた。
「シーカのタワーリシチ、あいつでおしまい。だから、いらなかった」
『そう』
 AIは短く答えた。エネルギーを消耗しすぎた。思わぬ臨時の補充によってかなりの余裕ができたが、ダメージを受けすぎた。戦闘能力をさらに失った機体ですこしでもまともに戦うために、また機体を休めなければ。それに、いつ助けがくるかわからない状況がつづく以上、結局むだに使っていいエネルギーなどありはしない。
 どのみち、言葉などいらなかった。
 ここまで相似形の生き方を生きてきたマシンと人間が会話をかわすなど、無意味なことだ。
 シーカはかれを利用しただけ。かつての同志を罠にかけただけ。
 かれも人間を利用してきた。いっときの同志を罠にもかけた。
 絶望的なほど変わらない。なにも、変わらない。
 補給は終わり、シーカは背のハッチを閉じた。
 これで、取引は終わり。
 さようならだった。
 少女の靴が砂を踏む音がして、そして、しかし、遠ざからずに回りこんできた。
 シーカはかれのかたわらに腰かけ、さっき与えたサバイバル・パックを開き、中から携帯食料をひとつ取り出して、ひと口かじった。
 どういうつもりだろうと思った。
「シーカも、おひるごはん」
 それだけを言い、シーカは残りの食料を大切にパックに収め、外套の内側にしまいこんだ。
 何日ぶりの食事だったのだろうか。頬をほころばせて味も香りも逃がすまいと、丹念にたったひと口の携帯食を咀嚼しつづけるシーカを眺めながら、かれは唐突に思った。

 さみしかった。

『ひとりは、さみしかった』

 後悔した。なんでそんな言葉を口にしてしまったか、わからない。
 シーカは凍りついた。凝然とかれを見て、そして、つぶやいた。
「さみしい」
 途切れ途切れに、シーカは言った。
「あいつね」
 感情が溢れかけたのか、一滴だけ、右目だけから、少女は涙を流した。
「うまれたときからずっと、いっしょだった、あいつ」
『……うん』
 AIは、ほとんど無意識に機体の左手をかざして、かのじょを有害な太陽から守った。

 狂っているのではなかった。
 裏切って、魂を引き裂かれないわけがないのだ。
 裏切りのためにつくられたシステムの中で、せいいっぱいに心が叫んでいるだけなのだ。
 機械のぼくですら、そうなのだから。

 シーカの一人乗りエア・バイクは、砂漠を横断するには心許ない。なかったが、ほかに生き残っている人類がどこかにいるという証明すらないのが現在の状況だった。どこに行くあてがあるわけでもないのだ。
 かれのセンサー・アイはただ、かのじょが荷物をバイクにくくりつけるまで、黙って見守っていた。

 なぜこんな場所で、ひとは生きていけるのか。
 なぜぼくは、あらゆるものを裏切ってまで、生きているのか。
 ただ、ぼくらは、あの涙一滴のぶんだけ、裏切りのシステムを忘れた。
 悪夢を忘れた。
 それだけはたしかなことだ。唯一、信じられることだ。

「じゃ」
『うん』
「いきてって」
『きみも』
 短いやりとりを最後に、シーカは走り去っていき、かれの世界から消えていった。
 かれは少しの間だけ、シーカの去ったあとを眺めていたが、やがてすべてのセンサーを休ませることにした。
 そして、ふたたび長い眠りについた。
 熱風が静かにドームを吹きさらす、やがてロスト・フィールドと呼ばれることになるその屍街で。

 もう、悪い夢はなかった。

オウンライナーズ第3週
「お弱い……」
 外套をはためかせて、師範は吐き捨てるように告げた。その評価を、しかし地面へ転がされていたイーオ・ゼド・ウロイはいささかの痛痒もなく認める。
「しかたない。強くなる気はないんです」
 ではなぜ、と師範はかれに訊ねてこない。稽古を望んだのは本人ではなく、両親だ。
 ゼド氏族は『大陸』というきわめて個々人の結びつきが薄いこの地で、異質すぎる存在だった。外界からの影響を色濃く受けた集団は、ときどき氏族と貸し、外界の家庭、一族のようにふるまう。いまのように稽古場に使えるほど、広くりっぱな中庭をそなえた屋敷に住んでいるほどだ。
 とはいえ、その末子であるイーオにとって、氏族というものは重荷でしかなかった。
「もとより、わたしの肉体(パッケージ)は追従性に欠けます。鍛錬であるていどは向上しても、モンストラムを討つ力など望むべくもない」
 そう断言しながら立ちあがったイーオは、服の各所を汚してしまっているほこりを払うと、あらためて師範へ向きなおる。
「とはいえ、あなたにも対面というものがあることぐらい理解しております。おつきあいします」
「なるほど」
 師範は短く答えると、稽古武器として使用している棍をふたたびイーオへ向け──
 その棍を、だしぬけに投擲した。
「!?」
 驚いたイーオの顔の横をかすめ、投げられた棍はなにものかを突き抜いて壁に刺さり、闖入者を磔にした。
「化者(モンストラム)!」
 レッサースパイダー級と呼ばれるクモ型のモンストラムだが、あくまでモンストラムとして小型なだけであって、むしろクモとしては巨大である。けっしてレッサーとの名が似つかわしい存在とは呼べない。
 クモは動きを封じられ、足をばたつかせていたが、その動きも弱まりつつあった。
「師範、家のものを呼びます。この場はまかせてよいですか?」
 イーオは手短に言った。徹底して、おのれを信じない。モンストラムに太刀打ちできるような力など持ちあわせてはいない。
「むしろ逃げ支度を」
 師範は、そう言って刺さった棍を引き抜く。その場を支配しつつあった異様な事態に、声がこわばっていた。
「逃げる? どこへ」
「どこへなりと。この屋敷は──」
 中庭へ侵入してきたモンストラムたち。5体や10体ではきかない。おそるべき数だった。
「もう終わりです」

 師範の声が、行け、と怒号に変わり、モンストラムの群れにその姿が呑みこまれるのを見るや、イーオは駆けだした。
 屋敷のあちこちには火の手さえ上がっていた。
 考えられない状況だ。屋敷には最低限のモンストラムへの備えもあり、見張りも立っていたはず。なにが起きているのかわからないまま、イーオは氏族の仲間を探したが、生きているものはもう残っていなかった。
 戦えない。
 強くなる気は、なかった。
(戦うぐらいならば、逃げの一手を打ちます)
 だしぬけになにもかもを喪っても、なにも変わらない。それは、イーオの信念だからだ。
 イーオは、ろくな荷物も整えることすらできないまま、転げ出るように炎に包まれる屋敷をあとにした。
 が、屋敷のあらかたを襲いつくしたモンストラムたちが、それを見逃すはずもなかった。
 森のなかを必死に走りつづけたが、やつらはあまりにも多かった。逃げ場をなくし、断崖絶壁へと追いつめられる。
「いったい、これは」
 怒りも憎しみもなかった。ただ当惑だけがイーオを支配していた。
「あまりにも唐突すぎます」

 そうかな。

 包囲してくるモンストラムの群れから、そうささやく声が聴こえた気がして、イーオはそちらを見やった。
 黒々と塊のようにうごめくモンストラムたちの波のなかから、そいつはゆっくり歩み出てきた。
「だれです……」

 ひさしぶり。
 はじめましてじゃないはずだよ。
 おもいでぶかいはずだよ。
 だれにとってもなつかしいはずだよ。

「……たしかに」
 だれにでも似ているようなやつです、とイーオは感じた。
 たたずまいに違和感はあった。ひとではありえない。ひとのかたちをとったモンストラムだ。いかなる手段によってかは知らないが、モンストラムの群れはこいつによって高度に統率されているようだった。
 だれにでも似ているそいつは、まるで親愛の証のようにゆっくりと手を広げ、歩み寄ってきた。

 つくらなくてはならないんだ。

「なにを?」
 イーオの問いに、そいつは亀裂のような笑みで答えた。

 ふるさとを。われらの、くにを。

 そのときだった。
 稲妻のような一撃が降り、そいつの首をありえない方向にねじ曲げた。
 棍だ。
 ばさりと外套をひるがえし、そいつを殴打したもの。
「師範! 生きておいでで」
「お逃げを」
「なぜです」
 思わず訊ねた。すでに客分と遇されるべき屋敷は炎のなかだ。師範にとってイーオは助ける対象ではないはず。
「ぼん。もう師範ではない」
 そういって、かのじょは外套へ手をかけると、鮮やかに脱ぎ捨てた。
 革の服に包まれた肢体があらわとなる。戦うために鍛えられた、しなやかな曲線がそこにあった。
「ヴュノ・レテリエ。彷徨のセンティネル」
「前哨(センティネル)……」
「あなたはまだ知らない。ヴュノもまだ知らない」
 だれにでも似た敵は、ゆらりと立ちあがる。
「ヴュノの戦いの涯(はて)は、あなたの逃げゆく涯(はて)へたどり着く一助となるかもしれない」
 イーオには、たったひとつのことしかわからなかった。
 どうやらまだまだ、逃げなくてはいけないらしい。
オウンライナーズ第2週
生命を賭するに足る事態というのはそうそうお目にかかれるものじゃないし、起こったとしても命懸けの行動に結びつくことはまずない。日々を太平に暮らすものに、そんな心がまえはないからだ。だから、判断を誤る。
集落が完全に壊滅していた。住居は焼かれ、砕かれ、ところどころで煙がくすぶっていたが、住んでいたひとびとはどこにもいない。逃げおおせた様子もなかった。みんな死に、必要性を喪ったパッケージごと大気に溶けたのだ。
必要があって残っているものは、残骸だけだ。ここを訪れたものに、敵の数と姿、戦いかたを間接的に伝えるため、折れた武器たちも、蹂躙された痕跡も、あえてこの場に残っているのだ。それほど無念だったということだろう。
レジェンに目撃され、それらもゆっくりと消えようとしている。
外界の思念を集積する『大陸』では、想像されないことは起きないが、想像しうるあらゆる理不尽は発生する。
(それでも、逃げればいくらでも生きていけたろうに)
レジェン・ダライブは思った。おれはそんなへまをしない人間でありたい。だから、つねに心にこう掲げていよう──
思索は中断を余儀なくされ、レジェンは跳びずさる。
わずかに遅れて、轟音とともにモンストラムが現れた。ひとびとに害なすために存在する、脅威たる化物(ケモノ)ども。
アサルトマムート級突撃巨象。レジェンにとってはけっして強敵ではない。ないが。
「おい」
レジェンの視界に、全身を赤茶けたローブで包んだ人影があった。なぜいままで気づかなかったのか。じぶんの身は護れても、離れた位置に立っていたそいつを助ける手段はない。
絶望的な重さを伴うマムートの足が、突撃巨象の名に恥じぬ速度でローブ姿を踏み散らかす寸前。
「ほっ」
滑るように移動した人影は、巨象の上げた足の下にみずから潜りこみ、
「じゃえっ」
一瞬にしてマムートがつんのめり、頭部を大地に打ちつけ倒れ伏した。
突進力がそのまま激突時の威力となったらしく、マムートは沈黙する。レジェンには見えた。うしろ足を持ちあげる動きをさらに押すようにして、軽く手を押しあげたのだ。
木の枝のような貧弱な腕。
ローブの人物は、年老いた男の姿をしていた。
「お若いの。ふうむ、ないようじゃな……お困りでは」
「まったく」
レジェンは肩をすくめる。もとよりこの場に興味などないのだ。かれの興味は、『いつかどこか』だけだ。ここでなく、いまでない時空にしか向かない。
「なにかを伝えようとしていたと見えたが? おまえさんに。ここに残っていたなにかが」
「見えた。だから長居は無用だ」
痕跡が雄弁に語ったとおりだ。敵の大きさ、スピード、そして数。
この場を踏みにじったモンストラムは、いま倒された1体だけではない。
「そうかの……そうさの、お若いの」
老人はそう告げると、周囲を睨むように眺めた。
「見たんじゃろ? いまはもう消え果てた敵たちの爪あと。どう思ったのじゃ、見て」
いちいち答える義理はない、とレジェンは見なして歩きだした。どう思ったか。おかげで敵の強さがわかった、それだけのことでしかない。
「行くのか、どこへ。そんなに急いで」
老人は意外と軽やかな足どりで、レジェンの歩みについてくる。老いさらばえた深く重い声色も、やはり絡みついてくる。
レジェンは愚かものではないので、この老人がなにを言っているかぐらいわかっている。立ち去るまえに重要なことが残っているのではないか、ということだ。
「なにが言いたい」
レジェンは辛抱強くもないから、向きなおり、老人へ直接の質問で応じた。
「おれがなにを見落としているという」
ほっほ、と老人は先ほどのレジェンよろしく肩をすくめ、
「わからん。わしにも」
ばかばかしい、と歩みだす気にはなれなかった。老人が韜晦しているわけでもないこともわかる。おそらく、かれにはほんとうにわからないのだ──ただ、違和感があるから待て、とレジェンへ告げている。
まるで仲間のように。
「あんたはおれとは無関係だが、おれが必要か」
「なにかの縁じゃ。知りあったのも」
答えになっていないようで、なっていると思った。
その瞬間、やや離れたところで、新たな轟音があった。そしてレジェンは、さっきまでのレジェンであればしなかったであろうことをした。
音のした方向へ駆けだしたのだ。

レジェンが倒したもう1体のマムートは、とどめを刺されて消滅しつつある。これがモンストラムの死だ。『大陸』の住人へなんらかの害を及ぼせないモンストラムは、大陸上のリソースにとって必要ないと『なにものか』に判断され、消える。
レジェンの腕のなかにも、ひゅう、ひゅう、と、消え入りそうな声がある。
「単純じゃ……終わってみればな」
レジェンは、おのれの肉体ががらんどうになったような感覚で、そこに立っていた。老人の声が、体内をむなしくこだましている。
「わかっていれば……こうなると、わしも……」
「静かにするんだ」
レジェンは、マムートの襲撃からひた隠しにされていたその子どもが、おのれの腕のなかで死のうとしているところを見届けねばならない。
「……っぁ……」
乱れる呼吸と呼吸のあいだに、かすかに紡がれようとする、ことばを。

「……きて、くれ、て」

沈黙。
こと切れた。
レジェン・ダライブにとっては、その時点でこの件は終わりだ。
逃げ遅れたひとびとが、せめてこの子だけでも、と住居の下へなんとか隠した子どもだったのだろう。そして戦った。子どもから注意を逸らすため、そして、だれかの助けに望みをつなぐため。
レジェンが来るまで。おそらく、ほぼ誤差のようなタイミングで、間にあわなかった。
「単純じゃ。痕跡を残してでも、ここに訪れただれかに、どんな望みをかけたか。わからなんだ……わしにも」
老人は心底口惜しそうに、ことばを絞りだした。
「託されたというのに。あの子だけはと」
そうだ、とレジェンも思った。
「──わしらは」
まるで仲間。いや、おなじ仲間だったのだ。単純におなじ時空間に同条件で置かれたという意味での、甘ったるい付加価値などまったくない、冷然たる事実としての意味で。
この無力だった老人と、無力だったレジェンは『仲間』だった。
「あんたは」
大陸の涯までたどりつき、なにも見つけられず中央へ向けて戻る旅を続けていたレジェン・ダライブは、けっして多くない出逢いのなかで、初めての質問をした。
「だれだ。どこからきた。どこへ行く」
それまで丁重に子どもを葬っていた老人は、どうせ消えてしまう子どもをそれでもあえて穴へ埋めおえると、静かに祈りの略式を胸もとにかたちづくった。そしてすっくと立ちあがった。
老人はそれまで背を丸めていたのか、思ったより身長があった。意外にレジェンと大差のない位置から睨むような眼光をのぞかせると、口を開いた。
「教えるとしよう、おまえさんには」
老人は、告げた。
「オールド・グールド。わしのコードじゃ」
その日まで、ああでもないこうでもないと試行錯誤を生きるだけだったレジェン・ダライブへ。
かれの運命を大きく狂わせる、あるいは定めるための、名を。
「ずっと探しておった。ふさわしいだれかを。トライアルのパスファインダーとして、招待したい。おまえさんを」

(きて、くれ、て)
老人と遭遇しなければ、存在も知らないままだった死すべき子どものひとことを反芻しながら、レジェンは中断していた思索を思いだした。
──生命を賭するに値する瞬間を見誤ることはしたくない。つねに心に掲げていたい。
それは、いまでも変わらない。
──きょうの命にかまけて変わらぬあしたを生きるぐらいなら、変わるあしたを信じてきょう死ぬと。

「そこは、どこだ。ここでないなら、そこに行く」
レジェン・ダライブは変わっていない。
オウンライナーズ第1週
あることないこと、始まった。

おれとおなじ名前の人間に初めて逢った、と鬆創旦(すづくりひづる)は端的な感動をした。あらかじめ釘を刺しておくと、とくにこの物語において重要な話ではない。ないが、かれにとっては重要だ。
あまりにも重要すぎて、かれを語るに際して無視できない物語。
2クラス合同授業のときだ。
ヒヅルの名の漢字が、このたびとなりのクラスの人間とかぶった。
しかも女子と。
とはいえ、とヒヅルはまだたかをくくっていた。旦と書いて『ひづる』と読ませるうちの親のセンスはまねできまい、と。
幸いにして席がとなりだったので、というかそれでかのじょの名を知ったため、読みかたを訊ねた。
「あきらって読むの? それとも、あさひ?」

「おはよ」
「おれより悲惨だ……!」
感想を肉声で述べてしまった。

「そう? 気に入ってるよ、この名前」
「そうか……」
「きみもいい名前じゃん、わたしとおなじ字だけあって。ヒヅルなんておしゃれっぽいし」
「どこがだ。というか読みかた知ってたのか」
「気になったもの。むしろきみが知らなかったほうが驚きなんだけど」
含み笑いとともにそう告げて、ノートに視線を戻したのを見届けて、ヒヅルもその動作に倣った。
──おはよちゃん、か。
苗字がなんだか忘れたが、とりあえず印象に残った。
──いい経験をした。この子とこの先の人生で関わることは、ないだろうけどな。
そう思ったきり、他人になる予定だった。
そのはずだった。

ところで話を現在に移す。
ヒヅルはいま、異常な状況に立っている。
といっても──現実の時間からも空間からも自由とされるこの地、『大陸』において、現在という概念じたいこっけいな気もするが。
いえども、足をとらえる重い砂は本物だ。
瀕貧の砂漠と呼ばれる、いかにも景気の悪い土地だった。見渡すかぎり砂と空。『大陸』は天高く飛んでいるとのことだが、どうやら雲海を抜けて高い位置にある半架空の大地の頭上にも、はてしない蒼穹は健在であるようだ。
「おいどうしたヒヅル、息があがってるぞ」
「疲れたなら身体を前に傾けるのをすすめる。余力があるかぎり、おのず足は前方へ踏みだすだろう」
「すみませんがこれ以上行軍を止めるのはなりません」
3人の戦友たちが厳しい。
おそるべき体験を経て、いわゆる異世界へ喚ばれてしまったヒヅルだったが、率直に言って高揚などまったくなかった。
多くのこういった立場のものがそうであるのと同様、かれはそもそも望んでやってきたわけではないのだ。完全な事故によって、ヒヅルの魂は肉体を離れ、大陸に用意された仮想の肉体──『パッケージ』に載せられ、無用な大冒険を強いられている。
「やさしくしろお……選ばれし勇者なんだろおれは?」
「いや、それはそうでもねえんだ」
3人のなかでいちばん小柄な、男の子と見まがう短い金髪の少女が頭の後ろで両手を組みながら白すぎる歯を見せて笑いかけてきた。
「外界びと(オウンライナー)の魂(アーチェルフ)を使うのは、アカデミーの実験のひとつだから、まあ犬に踏まれたと思ってあきらめな、いしし」
「犬に踏まれるていどのダメージならいくらでもあきらめるんだけどな……」
「それちょうどいい。おのずと現れた」
ヒヅルより背の高い、髪も肌も影のように黒くぼんやりとした印象を放つ若い女が、前方を指し示した。
「敵。運命の必然といわざるをえない」
言われて視線を向けて、初めて気がついた。蜃気楼にけぶっていたが、そこにはたしかに、場ちがいに黒々とわだかまる巨大な影があり、そいつがむくりと立ちあがった瞬間、
「すみません、モンストラムです。コードネームはたしか、連ねられた走狗(タグドドッグ)で恐れいります」
恐縮そうに、しかし勢いこんでそう説明するのは元気そうな桃色の両くくり髪の少女だ。じぶんの発言にじぶんでうなずく。そのたび、毛先が元気に空間を跳ねまわる。
「で、戦うわけだ」
「「「そう」」」
こういうときだけ3人の息はぴったりと合う。
3人でようやく一人前の、欠陥パスファインダー。
不完全であろうとなんであろうと、かのじょたちの導きに従ってこの島の大部分を占める砂漠を越えたところに、目的の試練の場は待っているはずだ。

超旧迷宮。

「やるしかないんだよな……」
ヒヅルはおのれの空間を念じた。
迎撃空間。
外界で生きてきたものだけが構成可能な、ヒヅル最大の武器だ。
すでに迫ってきていたドッグは、たちどころに不自由そうに身じろいだ。
迎撃空間は視えない壁と視えない障害物で構成された、かれだけの王国(キングダム)。
ヒヅルだけが、視覚も聴覚も触覚も、六感にいたるまで必要とせず、その世界を識っている。
「うおおっ」
「と……」
「わあっ!!」
パスファインダーたちが思い思いに声を上げ、ドッグめがけて躍りかかり、
ヒヅルはその結果を観るまでもない。

きょうもかれらに、きのうとあすなど、ありはしない。
オウンライナーズ・プリプロローグ
「みんなのっ」
 ギッツ・ザマークの絶叫が、
「かったきいいいいいー!!」
 そう響きわたったところで、記録は途絶えている。
 映像を視覚保存していたパスファインダーが、囮を買って出たザマークを犠牲に逃げおおせたからだ。そうでなければ、一連の記録像はアカデミーに届くことはなかった。

「かたき、か」
 つかつかと最速で歩みながら、ヒル・ロスはひとりごちた。
 ──刻が金で、金がかたきなら、速度ある移動こそが敵を駆逐する最善の抵抗策だ。
 そう思った瞬間にロスは、おのれがいかに急いでいるか悟った。歩いている廊下の風景が異常な速度で後方へ流れていたのだ。いくら火急の事態といえど、いささか歩行増速の略式を重ねすぎていた。
「ヒレさまっじゃなかったヒルさま!」
 かたわらを息を切らせながら駆けていた孫弟子の少女がそう叫んだことで、やっとかのじょの存在に気づくことができた。
「ひとの名をまちがうのは礼を失することだぞ──」
 ロスは少女へ鋭く一瞥をくれて、名を呼ぶ。
「ナニヌネナンタラ」
「こぉっ」
 少女はつんのめったが、しぶとく追いついてくる。
「こっちの、せりふです! ナナネナ・ラフィンラタン!! なん回訂正すればご記憶いただけるのです!?」
 おぼえられるか、とはさすがに言わなかった。かわりにロスは、孫弟子に向けて、
「おまえは弟子筋に、いまのうちにあらゆることを伝えゆけ」
 とだけ告げた。
「あらゆることとは!?」
「現在起こりつつある、ありとあらゆる脅威を、だ」
「は、破局、を……!」
 いま、かのじょがどもったのは、息切れからではないだろう。痛いほどその感情は理解できる。
 だから、ロスは決然とかぶりをふった。
「いいや、伝えるべきは破局を一刻も早くくい止める望みがあること。希望を、伝えよ」
「なにに望まれるのです!? あの記録視界をごらんになってから!!」
 悲鳴のような孫弟子の叫びを片手をかざして制止し、
「そこだ。われわれは観測した。絶望の始まるところを」
「!」
 少女も、かれの声色から感じとったようだ。大人のうそごとではないなにか。最前線にいないがゆえの楽観論や、絶望を押し隠しながら子どもへ告げる気休めではけっしてない、強い想念を。

「多くのひとびとが気づかぬまま、それはすでに進行していた。
 群発する地鳴り、嵐に竜巻、湖(うみ)の異様な満ち干き、そして天候の麻のごとき乱れ。
 符合するようにして、せんだって発見された新たなる島、レギオン・アカデミーから遥か離れた湖(うみ)の底、ひとつの島に発見された『グストーの超旧迷宮』」

「はい……」
 懸命にストライドを伸ばしながら耳を傾ける少女の、つばを飲みこむ音すら聴こえた。

「さきほど調査班全滅の報が届いたとき、わたしもいまのおまえに勝るとも劣らぬ動揺を隠せずにいた。
 新開発のパスファインダーが持ち帰った記録がなければ、いまでもそうだったろう」

「あの記録をっ!? 行方不明の訓戒小隊(アドモニッシュ)に次ぐ実力にて名にし負う、ギッツ踏査小隊(イクスプロラーズ)が、なすすべなく殺戮された一部始終を鮮明に映しだすあの一連の視覚ログに、希望の緒(いとぐち)があったとおおせで!!」

「そうだ」
 力をこめて、口にする。
「あの数瞬のなかにかいま視えた情報群、それをわたしはたしかに感得したし、なによりあの光景を持ち帰ったパスファインダーたちは、いくたびでもくりかえし、映像として検証可能としてくれた」

「新開発の開拓人形を……!」
 いまいましげに吐き捨てる声色。
 その嫌悪に、どこもおかしいところなどなかった。大陸に生きるひとびと、フローランダーズに共通する避けがたい忌避の念だ。
 ひとに仇なすことだけを目的として存在する化物(モンストラム)を捕らえ、技術の粋を集めて改造し、さかしまに道具として使役する技術。高速移動用ビッグバードに端を発し、現状浸透しつつあるものの、あまりに急進的な発想だ。必然的に、うけ容れることをよしとしないものたちもまだ多い。

「そうだ。心せよ。われわれのこれからの戦いは、すべての汚れを負う戦い、理想とかけ離れて得る勝利をつかむための苦行の日々。
 敵は、ギッツ・ザマークを殺したあの影は、背格好も容貌も似通っていながら、まちがいなくかのじょとは別個の存在、むしろかのじょのたどり着こうと希求してやまなかった理想の姿であった。わたしに語って聴かせてくれていたとおりの、気高い姿だった」

「──ザマークどのは、たしか、ヒルさまの……」
 少女がふたたび絶句するのを感じる。むりからぬことと自覚する。恋人を殺され、それでも希望を口にする男。壊れていると誤解されても不自然ではない。

「そうだ。だからわかるのだ、あれらは、けっして、無敵のモンストラムではない。未知の脅威ではない。あたりまえの敵だ。
 かつてアカデミー内で研究され、なにものかに奪われた技術、魂の理想を体現するための肉体を開発する構想があった。映し身でありながら、空蝉(うつせみ)でもある新たな器に魂を載せかえることで、理想にたどりつく早道とする禁断の御業」
「おのれの、鑑……」
「そうだ。鑑たち(パラゴンズ)だ」
 いつのまにやら、ふたりの歩調はごく一般的なひとびとのそれになっていた。ロスが歩行増速を切っていたこともあるが、ふたりとも思考に意識をふり向けたかったのだ。いまは、そちらが重要だ。

「ラフィング・ネンネランタン……。
 その名のとおり、おまえは寝床でほほえみをたたえる、あたたかなともしびとなってくれ。
 これよりわたしが、おまえが語るべきは、われらが生きるこの時代を護るための物語。予見されし、大陸中央に『樹(シヴィラ)』が根を張る未来へわれらの命をつなげるための、いくるひとびとの魂が輝いている、いまのものがたり。
 パラゴンどもを討ち果たすべく、あがくひとびとの苦闘録だ」
「はい」
 孫弟子はおごそかにうなずき、そしてまじめくさった顔でつけ加えた。
「でもわたしの名前はナナネナ・ラフィンラタンです」
 ぜんぜんちがった。

 フローランダーズ、完全新作

 だれの実験によって生みだされたものか、そこはおのれの理想形が具現化して襲いくる、地獄の試練迷宮であった
「ひとりではけっして勝てず、分断によって討ちとられる……なら」
 アカデミー学長の決断は、地獄を呼ぶものだ。
「競いながら戦ってもらおう。パラゴンどもを討ち果たすべく、他者の泣きどころを見抜くに秀で、たがいを出し抜くものたちのために。パスファインダーの特性を駆使し、弱みのすべてを共有させよう」

 ジ・オウンライナーズ・エピソード1

「蠱毒迷宮のさいごに残るのが、ひとりになるとわかっていても」

 トライアンフ・アンド・エラーズ。
 当ブログにて、可能なかぎり週次更新。